メルカリの世界:10 苦手な価格交渉

Submitted by 恩田重直 on Tue, 09/14/2021 - 06:00
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メルカリのスポットイラストレーション(株式会社メルカリ「プレスキット」より引用※1
 

 ここまでは、「売る」をはじめて目の当たりにした、予想だにもしなかったことを書き綴ってきた。一方で、予想通りだったこともある。日本のメルカリ利用者は価格交渉ができない、というのはその一つである。理由は至って簡単で、今日の日本において、日々の暮らしの中で価格交渉の場がほとんどないからだ。

 1970年代初頭生まれの筆者にとって、日本での価格交渉で覚えているのは、中国留学を控え、コンピュータやカメラといった調査研究に欠かせないものに加え、それらに必要な備品の数々を、秋葉原や家電量販店で調達した時のことである。かれこれ30年近く前のことであるが、当時の中国では、スターバックスはもちろん存在せず、コーヒー豆さえ手に入らなかった時代であり、西側の優れた電気製品は、たとえ些細なものであっても日本から持ち込まなければ、現地で調達できる見込みはほぼなかった※2

 秋葉原で購入したコンピュータは、当地を訪れてはじめて実売価格がわかる有様であった。が、それを知るには店員とのやりとりが欠かせない。なぜなら、商品は展示されていても、多くは表示された価格に二重線が引かれており、最終価格は伏されていたからだ。購入の意思が固まらなければ、おいそれと価格を聞くことが憚られたし、逆に、プリンタなども合わせて購入する意思を示せば、価格交渉の余地は広がった。さらに、価格交渉は、単に価格を下げるだけではなく、消耗品などをつけてもらうことも大いに考えられた。

 

 

 とりわけ、脳裏に深く刻まれているのは、価格交渉していないのに、店員から値下の提示を受けたことである。それは、留学で必要なものを一通り買い揃え、最後にコンパクト・カメラを購入しようとした時のことであった。これまでの購入履歴が記録されていたであろうポイント・カードを提示し、店員がバーコードを読み取った瞬間である。店員は顔色を変え、「お客様には、この値段にさせていただきます」といって、おもむろに電卓を取り出し、値引価格を叩き出して見せたのだ。これには、驚いた。「お得意様」という世界を垣間見たような気がした。

 そんな価格交渉も今は昔、ほとんどなくなってしまったように思う。少し前には、「他店より高いものがあれば……」といった張り紙を見かけたが、今でもあるのだろうか。購入は専らインターネットを介しての取引になり、店舗に赴く機会がめっきり減ったため、よくわからない。ひょっとすると、メルカリが生まれてはじめての価格交渉、という人も増えてきているかもしれない。

 先に中国留学に触れたが、価格交渉は専ら中国で身につけた。なにせ当時の中国は、在庫確認、価格交渉をしなければ、ものが買えない場所が圧倒的に多かったからである※3。中国での価格交渉に欠かせない「便宜点(まけてよ)」は、中国語と出会ってまもなく覚えた単語の一つであったことからも、察しがつこう※4

 ここで、会得した価格交渉を披露しておこう。箇条書きで記すと、次のようになる。

一、喉から手が出るほど買いたいものであっても、買いたいという素振りは絶対に見せるべからず
一、品定めに入る前に、探りを入れるべく価格を聞くべし
一、品定めは、手際よく済ませるべし
一、心にかなった商品があれば、購入希望額を決め、その上限も設定すべし
一、心にかなった商品が複数あれば、購入希望の優先順位をつけるべし
一、価格交渉は、優先順位の低いものから、はじめるべし
一、価格交渉は、腹の探り合いなので、希望購入額よりも低い額からはじめるべし
一、心にかなった商品が複数ある場合、複数購入での価格交渉も視野に入れるべし
一、価格交渉で希望する上限額を下回らない場合、立ち去る勇気をもつべし
一、めでたく商品を購入できた場合、その場で商品を確認すべし

 思いつくまま書き出してみると、こんなところになろうか。七面倒くさいといえば、七面倒くさい。が、価格交渉とはいささか異なるが、当時の中国では、大衆食堂や屋台などで、気を抜いて、先に料金を聞くのを忘れると、透かさずぼられることも日常茶飯事であった。食べてしまってからでは後の祭りなのだ。そんなこともあり、欲しいものがあれば、まず価格を聞くという習慣が染みついた。

 

 

 さて、上記の価格交渉の心得に照らし合わせてみると、メルカリ上の価格交渉には目を覆いたくなる。買う方にしても、売る方にしても、のっけから最終的な希望価格を曝け出すのだ。そこに、相手の腹を探るような交渉はない。これでは、単なる宣言である。

 また、「売る」立場で困るのは、価格を提示しない値下交渉が非常に多いことだ。「この商品は、お値下げ可能ですか」と。これには参る。価格交渉は織り込み済なので、交渉自体はやぶさかではない。が、価格を提示してくれないと相手の腹が探れないので、価格の提示に悩むからだ※5。コメントのやりとりは、それなりに時間を取られるので、可能な限り、手際よく済ませたい。

 幸い経験していないが、出品者による購入者の評価の中には、「購入後の値下交渉、残念でした」などのコメントも少ないが見られる。どうやら、商品を購入した後で、価格交渉を行っている例もあるようだ※6。ここまでいくと、頭が痛い。

 日本的な事情もあるので、価格交渉ができないのは致し方がない。ところが、メルカリ観察を重ねて、徐々にわかってきたのは、どうやら価格交渉は、転売ヤーが率先してやっている行為っぽいのである。同一商品を観察していると、「あれっ、この購入者、こないだも同じものを買っていた」ということに気づく。しかも、価格交渉のために、大概コメントをつけているから、過去の記録も探し出しやすい。

 要するに、転売ヤーはあらゆる「市場」での時価を熟知しているので、新たな出品を見て、瞬時に、転売するための仕入としての購入上限額を算出していると言えそうである。つまり、転売ヤーにとっての価格交渉は、下げるだけ下げさせて、最大限の利ざやを貪るための行為なのだ。これに気づいて、「買う」をはじめた当初、わざわざ価格交渉をしていたことに若干の後ろめたさを覚えた。価格交渉をしない背景には、このような事情もあるのかもしれない。

 結局のところ価格交渉は、もちろん購入者の予算という側面はあろうが、少なくともメルカリでの時価を知っていて、はじめてできる行為だといえそうだ。しかし、メルカリの場合、出品物の大半が、不用品だけに、その時価は至ってわかりにくいのも事実である。(つづく)

 

『メルカリの世界』(目次)

はじめに:メルカリ現象を読むということ
01 海外からアクセスできない!
02 見えてくる底辺転売ヤーの実態
03 底辺転売ヤーの採集方法
04 転売ヤーに売る人たち、転売ヤーから買う人たち

第1章:変わる価値観
05 ごみが売れる!?
06 メルカリ中毒のはじまり
07 「ごみ」から「在庫」へ
08 後塵の「ごみ」屋の奮闘

第2章:取引の現場
09 暗黙のルールという幻覚
10 苦手な価格交渉

 

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リー・コールドウェル著、武田玲子訳『価格の心理学』(日本実業出版社、2013.2)を、Amazonで見る↗

 

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