転売規制、その先にあるもの

Submitted by 恩田重直 on Mon, 06/22/2020 - 06:00
トイレット・ペーパー完売
怖いのはコロナ・ウィルスか、それとも転売ヤーか(筆者撮影)
 

 本稿を書くには、遅きに失した感がある。とはいえ、インターネット空間の整備がますます進展し、様々な側面で情報化社会への転換が試されていく中で、その技術や仕組は、時に既存の制度を崩壊させ、時に既得権益層からの反発を受けることが予想されるが※1、転売問題は、その試金石となる可能性を多分に秘めていると思う。なので、現時点での考えをまとめておくことにした。

 なお、転売と情報化社会に関しては、すでに弁護士の福井健策が「情報社会のかなり根幹に触れる問題だ」と指摘しているが※2、法律家であるだけに、転売を如何に規制するかという方向に重きが置かれているように思う。一方、経済学者の塚崎公義は、高額転売が表面化しはじめた段階で、「マスクの高値転売は不愉快だが、禁止できない理由」を発表し、転売は認めざるを得ないことを指摘している※3。本稿も、基本的に塚崎の論旨の右に出るものではない。が、その後、法律による転売の規制が現実化したこともあるので、それに伴い生じたことに目を向けながら、この問題に迫ってみたい。

転売は悪いことなのか

 はじめに、立ち位置を明確にしておこう。転売のどこがいけないことなのか、という立場をとる。それは、決して「転売ヤー」と呼ばれる転売する人や転売屋を擁護するわけではなく※4、転売規制の先で誰が困るのかが、最大の関心事としてあるからである。

 「価格は需要と供給のバランスで決まる」。中学で習ったのか、それとも高校で習ったのか、もはや覚えてないが、退屈な授業の中で、未だに印象に残っているものの一つである。そして、今日に至るまで、その世界で生きてきた、と思っている。つまりは、市場経済を基盤とする資本主義国で、という意味で。一方で、最末期ではあったが、中国を通して、計画経済の世界の一端を、わずかながら目撃したし、その後の社会主義市場経済の中で、雨後の筍のごとく、市場経済に群がる大衆の姿を目の当たりにしてきた。こうした経験をもとに、この問題を考えてみたい。ついでに、経済、あるいは法律の専門家でもないし、ましてや商売人でもないので、あくまでも一消費者の目線であることを付け加えておく。

 さて、転売ヤーたちがやっているのは、まさに需要と供給のバランスの関係での商売だ。それは、彼らが自分たちの行為を、正当化する理由でもある※5。考えてみれば、小売店にしたって、同じ発想で日々の仕入を行っているはずで、夏に、冬場並みのマスクを仕入れている店があるとは思えないし、今年の春は杉花粉が猛威を振るいそうだと報道されれば、例年より多くのマスクを仕入れるだろう。加えて、小売店にしたって、マスクを製造しているわけではないので、問屋から仕入れて、自分たちの利益を上乗せして消費者に売るのであって、仕入先が異なるとはいえ、行っている行為そのものは、転売ヤーにしたって、小売店にしたって、何ら変わりはない。安直に彼らの行為を否定することは、市場経済そのものを否定することになってしまうだけである※6

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 さらに、生産者にしたって、基本的には同様の思考で生産計画を立てるだろう。多くの需要が見込める時期は多く生産し、あまり需要が見込めない時は生産を抑えるといった具合に。さもなければ、つくりすぎが価格崩壊を起こし、自らの行動が自らの首を絞める事態にもなりかねない。豊作に恵まれた、群馬県嬬恋村のキャベツが廃棄されるように※7

 このように需給のバランスを考えながら、安く仕入れて、高く売ったり、捌く量を増やしたりするのは、商売の基本ではないのだろうか。一方、転売に伴う危険度を考えた時に、おいそれと転売に手を出すことが憚られることに気づく。何しろ、一般的な小売店のような仕入ルートをもたない彼らは、売れなかったときに返品等の補償が全くないはずだ※8。そう考えると、転売ヤーたちも相応の危険を背負っているといえる。そこでは、的確な情報収集、咄嗟の決断力、そして迅速な行動力が求められるのである。実際、後発組と思しきマスクの転売ヤーは、メルカリなどのフリマアプリから締め出され、その後、露店で売ることを余儀なくされ※9、結果、マスクが店頭に並び始めた5月中旬頃には、「利益ほぼなかった」という記事が出回ることになる※10

身近な問題としての書籍の絶版

 では、誰が購入したのか、という本題に移る前に、調査研究という自分にとって身近な事例で需要と供給のバランスを考えてみたい。その上で、必要とする側の、転売にしてみれば購入する側の、理由に迫ってみたい。

 調査研究に着手するときにやるべきこととして、文献調査がある。それは、これからやろうとしている調査研究の鍵となる語句をいくつか絞り出し、それを手掛かりに、論文や報告書、書籍、雑誌記事などなどを洗いざらい拾い出す作業である。その代表的な作業場は、図書館だ。実物を手にして、これは要らないとか、これはここだけ複写しておこうとか、これは内容が充実しているので購入しようといった選別作業をするのである。

 複写したり、購入したりする段階で、問題が発生することがままある。複写の際の問題は、大半が著作権ってやつだ※11。細かいことはさておき、問題となるのは一点。著作権が効力を発している間は、複写が半分しか認められていないことである。書籍ならまだしも、雑誌に掲載された一編の論文を、複写係に「半分まで」と突き返された時には、閉口するしかなかった※12。加えてやっかいなのは、著者名が付されている場合、刊行から70年ではなく、その著者の没後70年ということである※13。現在では、インターネット端末で、すぐに調べることができるが、かつては、泣く泣く『人名辞典』で著者の没年を調べた記憶がある。

 一方、書籍を購入する際の問題は、絶版である。絶版とは、刊行した書籍が売り切れても、再度、印刷そして発行、すなわち再版しないことを指す。とりわけ研究成果をまとめたような専門書は、需要が少ないので、そもそもの印刷部数が少ないし、少ないから高いし、売り切れたところで、それ以上の需要が見込めないとの判断から、再版されるものは至って少ない。文芸書のように、2,3年で売り切るということが、きわめて稀だからである。

 このような状況下で、古書店が果たす役割は非常に大きい。絶版になった書籍も、流通するからである。そこでつけられる価格が、まさに需要と供給のバランスの結果を反映している。インターネット空間を通じて、古書の価格が容易に調べられるようになった現在※14、気になる本の一覧をつくり、定期的に在庫や価格の情報を収集するようにしているが、専門書の価格変動を示すと、概ね次のようになる。

 

 刊行されて半年から1年ぐらい経過した頃に、数量は限られるが、古書市場での流通が認められ、この時期は定価よりも安く取引される。購入した経験からいうと、著者による謹呈のしおりや、まれに手紙が入っていることがあることから見て、著者が献本したものが、読まれもせずに、古書店に売却されているといえる。それから、この時期には、読むには支障はないが、表紙などに比較的目立つ傷があるなどといった傷物商品が、安く出回ることもある。そして、その後、あまり流通しなくなる。

 次に動き出すのは、早ければ5年ぐらいが経過した頃だろうか。定価よりも高い値段で、取引がなされるようになる。この時期は、一般書店の在庫が底をついた時期と重なる。なので、時期はそれぞれの書籍によって、まちまちであり、5年で在庫がなくなるのは、専門書としては非常に優等生で、多くはもっと長い期間を要する※15。この時期は、買いたいという需要に対して、一般書店では買えないという供給不足が、古書の価格を押し上げるのである。ちなみに、アマゾンでいうところの「コレクター商品」という扱いになり、アマゾンに出品している業者の中には、べらぼうな値段をつけていることが多々ある※16

 その後、再版されたり、文庫化されたりすると、当然ながら、高値をつけていた古書価格は暴落する。途絶えていた供給がなされた結果だ。ちなみに、専門書として賞を受賞するなど、輝かしい実績を生んだ書籍は、文庫化の可能性が高い※17。このように、専門書の古書価格もまた、見事に需要と供給のバランスにもとづいていることがわかる。

 ここまでは、図書館での作業という前提で、話を進めてきたので、これらの書籍は、例え、複写したり、購入したりできなくとも最低限、図書館内で読むことができる。困るのは、図書館にないという事態に出くわした時である。日本国内で最多の蔵書量を誇る国立国会図書館は、国内で発行された全ての出版物を納めることを定めているが※18、1948年5月25日に納本の受付を開始しているので※19、戦後、国内で出版された出版物はほぼ網羅しているといえるが、戦前に関しては、全てが納まっているわけではない。また、当然、海外の文献は限られている。

 図書館にない書籍は、古書店での扱いも格別で、まさに「コレクター商品」となり、値が吊り上がる。例え、高すぎて手が出せなくとも、存在がわかっているものに関しては、目を通す。これが研究の原則だ。なぜか。それは、この一冊の書籍が、研究成果の論拠を覆すかもしれないし、研究成果と同様のことをすでに指摘しているかもしれないからである。そうだった場合、前者には法螺吹き、後者には二番煎じの称号がもれなく与えられる※20。つまるところ、研究者にとって死活問題にもなりかねないのだ。だからこそ、是が非でも、目を通す必要があるのである。

 個人的にはこんな経験をした。査読論文を9割がた書き終え、一息ついている時に、ふと中国専門書店から送られてきた目録に目を通した。一冊の本のタイトルに、目が釘付けになった。自分が掲げている研究テーマと、ほぼ同じタイトルの本が出版されていたからである。青ざめた。すぐさま書店に電話すると、幸い在庫はあるとのことだったので、財布を握りしめて、買いに走った※21。そして、論文の締切が迫っていたとはいえ、締切を度外視して精読した。

 結果、学問分野が違うし、論点も異なることがわかった。加えて、使っている史資料も重なっていない。胸をなでおろした。ただし、冒頭の先行研究にかかわる部分は、加筆修正することになった。先に発表したことに敬意を表し、彼の研究を書き添えたのである。これを加えることによって、先日公表された研究を見ていないのではないか、という批判をかわせるし、なによりも彼の研究との違いを明確にすることで、自分の研究の独自性がより明白になる。いわば、論文としての厚みが出るのである。

 どんな条件であれ、入手しなければならないことが、時に存在することを伝えられただろうか。マスクの場合、より多くの人と関係するだけに、より身近な出来事だったはずである。そろそろ、本題に戻ろう。

転売ヤーは誰で、購入者は誰なのか

 最初、この報道を耳にした時、「メルカリで」と聞いて、「どうせ個人がお小遣いの範囲内でやっている副業だろ」って、勘繰っていた。ところが、野次馬根性で、メルカリを開いて驚いた。個人で購入するとは思えない、その取引量に。

 確かに、転売問題に注目するきっかけの一つとなった、文春オンラインの記事を読み返してみると、タイトルは「100万円超……荒稼ぎ」となっており、取引規模が大きいことがわかる※22。しかし、この記事に登場する転売ヤーは、「日本在住の中国人……に売る」とあるので※23、あくまでも、すでに転売ルートを独自に開拓している、特殊事例だと思っていた。まさかメルカリ上を主戦場とする転売ヤーが、こんなにも蔓延しているとは思いもよらなかった。

 記事にも書かれている通り、また取引量の多さからも容易に想像がつくように、こうした転売ヤーは集団化している。また、マスクをネットオークションに出品していたことで、ぼろくそに叩かれることになった、かの静岡県議もまた、自身が経営する貿易商社での行為である※24。つまり、れっきとした企業であったり、企業並みの転売屋であったりが、メルカリをはじめとする、情報技術によってもたらされた新たな市場、つまり小売店を介さずに、直接、消費者と結びつくことが可能な市場に参入してきているのである※25

 そう考えてみると、「道徳観」や「倫理観」をかざすことでしか、転売行為を非難できない人たちに失望する。情報化社会の到来がもたらしている地殻変動に、感情論だけで立ち向かおうとしているように映るからだ。それを反映するかのように、利ざやを貪る売り手ばかりが取り上げられてきたし、どの記事も「通常の感覚ではない」などというところに落としどころを求めるしかなく※26、文章に切れがない。加えて、このように偏った報道は、転売とは無縁だった人にも、転売をさせる契機を与えた可能性も否定できない。なお、念のため、記事の見落としがあったかもしれないと思い、改めて、「転売」などの語句で、ウェブサイト検索をかけてみたが、やはり買い手を取り上げた記事はきわめて少ない。

 買い手にかかわる記事は、後で紹介するが、いずれも、マスク転売が社会問題となりはじめた2月から3月にかけてではなく、マスク・バブルが崩壊する直前の4月末から5月にかけてに掲載されている。どうやら、マスクを切に必要としていた人への供給が、本格的に途絶えはじめて、ようやく記事になったといえそうである。

 転売の売り手と買い手は、表裏一体の関係であり、例え法外な値段がつけられていたとしても、取引が成立したのであれば、買い手がついたことを意味する。この買い手の中には、切に必要としていた人が多く含まれることは想像に難くない。供給の目途が立たない中では、確実性の高い入手経路だったのではないだろうか。この買い手に着目することにより、マスク不足という異常事態が抱えている課題が浮き彫りになったはずで、喫緊にやるべきことが自ずと見えてきたはずである。

 では、誰が購入したのか。

 転売問題が表出してきた時点で、記事にしようと思っていれば、メルカリなどに張り付いて、売り手と買い手の購入前後のやりとりや、金額、数量などをひたすら収集していたはずだが、当時はそこまで考えていなかったので、お見せできる記録がない。加えて、引用できる報道も少ない。なので、申し訳ないが、以下では、当時から考えていた憶測を書かせてもらう。

 取引されている量から鑑みて、真っ先に思い浮かんだのは、後発の転売ヤー。そこには、売り手にも買い手にも、「倫理観」なり、「道徳観」なりは微塵もないので、まだまだ高騰すると読む連中は、例え、すでに高額であろうと、手を出す。

 次に、思い浮かんだのが、福祉サービスの事業者。医療機関に比べ、マスクの供給源とのつながりが弱く、それでいて、職員のほぼ全員が、日々マスクを必要とするのではないか、と考えたからである。ここに思い至り、次の光景が脳裏をかすめた。

 在宅介護サービスを利用している。その介護サービスの現場で、常日頃からマスクをつけて仕事をこなしていた職員が、突然、マスクをせずに現れた。聞けば、事業所のマスクが底をついたという。憂鬱な気分にさせられ、契約の見直しを考える。

 ところで、転売ヤーの行動に関して、静岡県議の一件も引き合いに出しながら、「プロスペクト理論」なるものでもって解説している記事がある※27。ヨコモジのリロンは各自、勉強してもらうとして、この記事の要点は、転売は市場原理によって淘汰されるということにある。なんとも牧歌的な結論で、有能な転売ヤーほど、淘汰される以前に市場から去っていると思うが、それはさておき、同時に指摘している、小売店が市場原理に合わせて値上げしなかった理由については、買い手の問題を考えるヒントを与えてくれた。

 それは、小売店が「品薄に便乗して過度な値上げを行えば、中長期的にみたマイナス効果は計り知れない」という部分である※28。この文言をお借りして、買い手の問題を書いてみると、次のようになる。「品薄で過度な高値で取引されていようとも、そこで買わなければ、中長期的にみたマイナス効果は計り知れない」と。つまり、福祉サービスの事業者は、マスクを調達できなかった場合、事業の継続が危ぶまれるという意味である。

 さて、想定される転売の買い手に関する数少ない記事を、二つほど紹介しておこう。一つは、経済誌『フォーブス』が取り上げた記事で、福祉サービスの現場に焦点を当てたものである※29。憶測が、現実であったことを伝えてくれる※30。もう一つは、毎日新聞の記事で、医療的ケアが欠かせない子供に関して、消毒液をはじめとする衛生用品が足りない現状を取り上げている※31。いずれの記事にしても、現場の切迫した状況が痛いほど伝わってくる。利ざやを貪る転売ヤーがあれだけ報道されて、なぜ、こうした現場の最前線がもっと報道されないのか、首を傾げざるを得ない。そこには、報道の中枢に位置する新聞でさえも、閲覧数を稼ぐような記事ばかりが求められているような気がしてならない。

福祉現場にもマスクを
『Forbes JAPAN』のウェブサイトで紹介された「 #福祉現場にもマスクを 」プロジェクトのロゴ
#福祉現場にもマスクを 」プロジェクトは、「一枚でも多く、一カ所でも多い福祉現場にマスクを届けるために」立ち上げられたプロジェクト。皆様へのお願いは、寄付金、マスクの寄付、そして、このプロジェクトの拡散の3つ。もし、少しでも興味が湧いたら、彼らのウェブサイトを覗いてみよう。

 

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 ともあれ、日本政府は、転売を禁ずる方向にかじを切った※32。禁ずることはたやすい。しかし、それだけでは、何の問題解決にもならない。必要とする人に配慮する施策を合わせて講じることで、はじめて解決につながるのだ。

当然の帰結としてのアベノマスク

 転売を禁ずる法律の施行を受けて、まず危惧したのは、価格を度外視してでも入手しなければならない人たちの、最終手段たる入手経路を絶ってしまったのではないか、ということである。おそらく、切に必要とする人たちが、一切の入手経路を絶たれた時の恐怖は、想像を絶する。したがって、法律を公布した以上、一刻も早く、切に必要とする人たちに供給する環境を整備する必要がある。しかも、数量が限られている場合、そこには供給の優先順位が存在するはずで、その決定には細心の注意を払わなければならないだろう。

 個人的には、この事態を、資本主義国の根底にある市場経済が否定されたと受け止めた。つまり、転売を禁じたものについては、社会主義国における計画経済のように、政府が策定した計画にもとづいて分配しなければならない、と。なので、その速度や顛末はさておき、アベノマスクが配布されるという報道があった時※33、当然の成り行きだと思った。

 社会主義の本場、中国でも、武漢で新型コロナ・ウィルスの感染拡大が確認されて以来、マスクの価格は高騰した※34。この事態を受けて、淘宝(タオバオ)などの電子商取引の場を提供している事業者は、便乗値上げを禁止する措置を講ずるとともに、地方政府の関係監督部門も、売価の監督を開始している※35。また、中国の地方政府は、かなり早い段階で、公共の場所でのマスク着用を義務化しており※36、マスクは市民生活における必需品となった。このような状況下では、マスクがないと日常生活もままならない。

 そんな背景もあり、上海ではマスクの購入を登録制にし、指定された薬局で購入するようにした※37。ついでに、上海では、誰もが1日1枚のマスクを受け取ることができる自動販売機が登場している※38。この記事を書くにあたり、中国の地方政府が、マスク不足という事態に対したとった対応を、現地の文献なり、文書なりできちんと把握しておらず、あまりつっこんだ内容になっていないが、上記を時系列で整理すると次のようになろう。

・2020年1月9日―新型コロナ・ウィルス検出との第一報
・2020年1月20日―淘宝(タオバオ)などの事業者が便乗値上げの禁止
・2020年1月23日―武漢封鎖
・2020年1月26日―広東省などで外出時のマスク着用義務化
・2020年2月2日―上海では、身分証にもとづくマスクの数量限定販売の開始

 つまり、本稿で問題としているマスクの転売と供給に絞れば、価格の高騰が問題になってから、2週間程度で、数は限られているとはいうものの、上海では最低限の供給を保障したといえる。しかも、電子商取引においては、販売や転売自体を禁じた訳ではなく、価格監視なので、在庫がある限り、取引が続いていたはずである。この速度感には、頭が下がる。このように、禁じたり、義務化したりする場合には、早急に、入手するための代替措置を講じなければならないのである。代替措置なき規制は、感情論だけで行動している人たちに充足感を与えても、切に必要とする人たちの不安を煽っているに過ぎない。

 その後に起きた、トイレット・ペーパーの買い占めは、あまりにも滑稽だったが、転売ヤーを目の敵にする過剰な報道が、人々を異常な買い占めに突き動かした側面があるのではないか、と睨んでいる。なぜなら、発端は「トイレット・ペーパー……が中国輸入に依存して」いるという流言であったとされているが、国産であり、「在庫は十分にある」と報道されたところで※39、一向に歯止めがかかる気配がなかったからだ。検証する方法が思いつかないが※40、そこには「道徳観」「倫理観」をもたない転売ヤーたちが転売目的に買い漁りはじめたら、いくら在庫が十分にあろうとも、底をつく可能性は否定できないという見立てがある。

 結局、転売は、コロコロと品を変え、今日に至る。報道で気づいたものでも、ゲーム機、小麦粉、消毒液、アベノマスク……。高額になる商品までは予測できないが、今後も、品を変えて高額転売が行われ続けることは想定の範囲内だ。このような事態に、「けしからん」と言われたって、全く心に響かない※41。いくら法律で規制しようとも、詐欺グループの中核をほとんど捕まえられないのと同様、有能な転売ヤーほど、捕まえられないのだ。

 アベノマスクに関しては、もう一つ看過できない重要な問題がある。配布の意図の説明である。

 3月28日の首相による記者会見の内容として報道された「布マスク配布」※42、さらには4月1日の首相発言には※43、ついにこの日が来たかと受け止めた。上記したように、転売規制は、すなわち計画的な分配だと思っていたので、これらの一連の報道に対する周囲の反応のような、違和感を感じることはなかった。確かに、転売を規制する法律を公布したのが3月11日、そしてマスク配布の発表が3月28日ということで、実質2週間余りの時間があったわけで、これだけの時間を費やしながら、捻り出した方針がこれだけっていう、しょぼさは感じたが。

アベノマスク
ようやく届いたアベノマスク(撮影:まぁ)

 このマスク配布は、「アベノマスク」を筆頭に、「エイプリル・フールの冗談」「B29に竹槍」などなどの揶揄にかき消され※44、ほとんどその真意が伝えられなかったように思う。しかし、マスクの配布には、明確な意図があった。『言論プラットフォーム:アゴラ』に掲載された千正康裕の「アベノマスク炎上の正体」によれば、それを伝えようとしたのは、現役の政策担当者たる官僚である※45。転売規制との関係には言及していないが、医療機関への配布と各世帯への配布の関係、布マスクであることやその数量の意味、などをフェイスブックで発信している。

 それにしても、政府の説明はお粗末だ※46。先の官僚も、個人のアカウントから発信しているのであり、政府の公式見解とは見なせないし、首相発言には、かつてアベノミクスを熱弁した時のような熱意は微塵も感じられない。加えて、首相発言を補足するような関係省庁からの説明もない※47。政府を挙げて取り組んでいるという姿勢が、全く感じられないのだ。

 また、説明の内容に関して、4月1日の首相発言もそうだし、厚生労働省ウェブサイトの問答集を見ても、殊更、洗って使えることばかりを強調しているように思う※48。もちろん、洗って使えるということは、要点ではある。が、第一に説明すべきは、マスクの供給が滞っている現況であり、限られた供給を如何に差配するかということだったのではないだろうか。ちなみに、個人以外の配布の説明も、非常に雑駁で、医療機関と高齢者施設、障碍者施設、小・中学校という二つに群に分けているに過ぎないし、不織布のマスクは医療機関に限られている※49

 加えて、マスク配布の真意を伝えようとした報道機関が異様に少なかったことにも言及しておきたい。それは、もちろん政府の説明不足とも関係していよう。にしても、である。政府の舌足らずな説明に質問をぶつけるわけでもなく、記者という立場から施策を汲み取ろうと努力するわけでもなく※50、報道機関がこぞってやったことといえば、国民と一緒になって、風刺するだけであった。その態度は、村八分の制裁を科しているかのようだ。未知のウィルスという先行きが見えない不安の中で、誰かに不満をぶつけたいのはわからないでもない。しかし、そこには、国を挙げてウィルスと戦う、という気概が感じられない

 管見の限り、紙媒体に端を発している、老舗ともいうべき報道機関の中で、マスク配布の意図を正面から伝えようとしたところはない※51。そうした中で、上述した『アゴラ』の他に、『東洋経済オンライン』『生活(くらし)を変えるテクノロジー by ITmediaNEWS』『テラスプレス:報道では見えない事実に光を』『ImpressWatch』などが、マスク配布の意図を記事にしている※52。全くなかったわけではないことが、唯一の救いだ。

 これらのウェブサイトには共通点がある。『週刊東洋経済』に端を発している『東洋経済オンライン』を除くと、いずれもが、インターネット空間の登場以降に設立された、インターネット専業の媒体であるという点だ。また、『東洋経済オンライン』は、「老舗」であるとはいえ、出版不況の煽りを食う雑誌業界の中では、いち早く電子化を取り入れ、ウェブページの高い閲覧数を誇っている、時代の寵児である※53

 こうした状況を鑑み、うがった見方をすれば、情報化社会の到来に、未だ対応できていない報道機関が、今以上に大衆が離れていくことを恐れ、大衆に迎合することでしか、活路を見いだせていないのではないか、と思ってしまう。「情けない」とは、アベノマスクに国民が発した言葉であり、大手新聞社の中には、記事の見出しにこの言葉を付したところもあった※54。しかし、真に情けないのは、報道機関ではなかろうか。

情報化社会における価値観

 ところで、どうやら経済学のお偉い先生方は、この転売問題に対して、だんまりを決め込んだようである※55。唯一の例外は、冒頭で紹介した塚崎公義ぐらいであろうか※56

 そりゃそうだ、視聴者に嫌われないために、うっかり転売は罪悪などと口を滑らせば、大学での講義ができなくなる。需要と供給のバランスによる価格決定は、中・高校生でも知っている、資本主義経済学の基本中の基本なのだから。万が一、経済学として転売を認めないなら、中・高の教育現場では、社会科の授業の一部を道徳の時間に振り替えなければならないかもしれない。したがって、本稿の結論は、すでに塚崎が指摘しているように、「転売人は必要悪」ということになる※57

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 さて、本稿の最後に、転売問題が突き付けている、現代社会の課題を整理しておきたい。

 多くの人が指摘しているように、インターネット空間の整備が進展する中で、商取引のあり方が変化してきている。中でも、大きな変化は、転売ヤーの存在が如実に示しているように、誰もが直接、消費者と結びつきやすくなり、販路を開拓しやすくなったということである。そして、多くの人が、メルカリなどで、「店舗経営」をはじめることとなった。

 それは、かつて、スーパー・マーケットにあった伝言掲示板や雑誌の読者欄などで見られた「買います」「売ります」「差し上げます」のように、従前からあったものであるが、情報技術を介することで圧倒的な空間のひろがりをもたらした。しばしば、インターネット空間は仮想的なものと指摘されるが、現実の空間ともつながっていることに気づかされる※58

 中国人による爆買いの背景にも、中国版ラインと言われる「微信(ウィーチャット)」などの普及が多分に関係している※59。つまり、建前として、微信などでつながっている、あるいはつながった、さらにはこれからつながるであろう「友達」に頼まれて、「お土産」として大量に買うわけだ。免税の範囲内であれば、関税を払う必要はない。例え、「お土産」の原価に加え、その対価が得られるとしても。

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 中国に限らず、日本でもこうした海外土産の転売は増えてきているようであるが、これらを新たに法律で厳格に取り締まろうとするならば、「友達」の範囲を定義するなどしなければならないだろう※60。だからこそ、中国では税関という水際での検査を強化し、個人で使う量に限って国内に持ち込むことを認め、それ以外は課税、納税なきは没収することをはじめた※61

 このように、情報化社会の進展に伴い、これまでの社会においては、想定しにくかった事態が発生している。従前では考えにくく、そして旧態依然とした価値観からすると、得体のしれない行動を、強権的に規制できないのであれば、手っ取り早い方法は、これまでの社会の「道徳観」なり、「倫理観」なり、「価値観」でもって、「正義」を振りかざすことになる。

 ところで、この消費者、すなわち個人に直接結びつきやすいという、情報技術がもたらした特質は、何も転売ヤーだけに開かれているわけではない。先に挙げた、個人による「店舗経営」はまさにその利用の典型だし、あらゆる企業にも、そして政府にも開かれている。ここが肝だ。この特質に、いち早く気づいた転売ヤーの行動だけを見ていると、暴利を貪っているようにしか見えない。が、一方で、マスクの供給不足に対する次善策として、注目を集めるようになった手作りマスクが、単に自家用にとどまらず、容易に販売を可能にしているという点にも、目を向けるべきだ。

 現在でも、メルカリをはじめとしたフリマアプリ上では、数多くの手作りマスクが販売されている。そこには、単に色、柄、素材が異なるだけではなく、形状にこだわっていたり、刺繍を施していたり、機能性を充実させていたりする色とりどりの商品が並ぶ。そして、価格も三者三様だ。安いからといって売り切れになっているわけでもなく、高くても売り切れているものはたくさんある。ちなみに、高くて話題となったホリエモンのマスクは、税込1万1千円だが、「大人気につき増産」するとのことだった※62。そこには、販売者が掲げた価格に、消費者が納得すれば、購入するという世界がある。

 転売ヤーに値を吊り上げられて以来、マスクは常に適正価格なるものが求められていたように思う※63。そこでは、「高い」「妥当」「しょうがない」といった声が錯綜した。こうした適正価格を求める声は、コロナ禍におけるマスク製造の申し子、シャープが小売価格を発表し※64、まもなくして落ち着いたように見えた。そして、傍から見てて気になったのは、後発の転売ヤーと思しきマスクの露店販売の価格が、ここに寄せていった気がすることである※65

 さて、このシャープのマスクが適正価格なのかは、わからない。ただ、6月20日の時点で、すでに計8回の販売を行っているが、未だに購入を希望する人が後を絶たないのは事実だ※66。そして、注目すべきは、自社のウェブサイトで販売している点で、企業と消費者が直接、結びついていることである。今後、シャープが既存の販売網を使って販売する計画があるのかは知る由もないが、価格を決定する上で、自社のウェブサイトで販売することが、少なからず影響しているであろうことは想像に難くない。

 執拗に適正価格を求める態度は、工業社会が可能にした大量生産技術を背景に登場してきた、薄利多売というビジネス・モデル、日本においては高度成長期の亡霊に、未だに憑りつかれているような気がしてならない。もちろん、薄利多売を真っ向から否定するわけではない。とりわけ、使い捨てがなされる衛生マスクにおいては、その恩恵に与っている側面がきわめて大きい。しかし、全てにその価値観を押し付けることは、あってはならないと思う。そして、もう少し高付加価値に対して、色眼鏡を外してもらいたいと思うのである。

 コロナ禍は、日本社会の様々な問題を露呈させた。転売ヤーが目ざとく見つけた、個人消費者への販路は、政府にとってみれば、直接、国民に連絡が可能な緊急連絡先として使える可能性を秘めている。確かに個人情報を握られるという不安は、わからないでもないが、その側面ばかりにとらわれすぎると、政府の緊急対策の速度感のなさに加担することになるかもしれないのである。

 

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